人に評価されるということは、人の存在意義そのものなのかもしれない

今日の夕方に社労士の先生方にお越しいただき、

今後の人事評価制度に関してたたき台の打ち合わせをさせていただきました。

(バタバタしていてあまりお時間取れずにすみません!)

零細企業でも、きちんとスタッフの評価を

目に見える形で示していくことはとても大切だと

改めて身の引き締まる話でした。

評価をされるということは、

「あなたはこういう人ですよ」と

他者に認識されるということで、

すなわち大切な自己認知のツールとなります。

自分は他人がいるから自分なのであって、

他人に認めてもらいたいから、自分をアピールするもの。

今でも皇居周りの石垣には

その石を運んできたり加工したりした人による

名前(洛書き?)が残されているらしいです。

人間が動物ではなく人間となった時から、

「他の人に認めてもらいたい」という欲求は

延々と続いているもののようです。

ゲーミフィケーションが流行っているのは、

評価が数字でわかりやすく表現されるから。

達成感も得やすいし、よりモチベーションアップにも繋がります。

じゃあ人を評価しないといけない立場になった時に

何を一番の基準にしたらいいのか?

そもそも「できる」「できない」の境目は何なのか?

非常に難しい問題ですが、

個人的には

「その人の持てる能力からどれだけストレッチしたか」

を基準にしたいと考えています。

客観的な数字を基準にしすぎると、

向き不向きや得手不得手で不公平感が生まれてきてしまいます。

それはそれで平等でいいのかもしれませんが、

世の中器用な人間ばかりで回っている訳ではありませんし、

一芸が光る人も沢山おられます。

私がこう思うようになったのは、

昔友人が同じような基準で人のことを見ていたから。

その当時、絶対評価が全てだと思っていた私は

容量の悪い人を小馬鹿にするようなところがありました。

その友人が、能力が低くても真剣に努力した人間に対して

真剣に賞賛をしている姿を見て、目から鱗が落ち、

非常に恥ずかしい思いもしました。

そもそもの能力に対する目利きは問われるのですが、

どれだけ伸びようと思って努力をしたか、という点について

まず評価することができるように、心していきたいと思います。