昨日が最終日だった、兵庫県立美術館の
「カミーユ・ピサロと印象派」展に行ってきました。
第一回から第八回の全ての印象派展に出品した”長老”。
今回はその事実以外に、
強烈な個性をもった画家たちを束ねて印象派の流れを作った
「コーディネーター」としての一面、
色彩を科学的に分析してどう表現するかという
「研究者」としての一面、
事実に忠実で、だからこそアナーキストと捉えられた
リアリストとしての一面、
など、いろんな側面を見ることができてとても楽しかったです。
ピサロに関して、惜しむらくは作品の人気が他の印象派の作家と比べて低いことか。
今回は同時期の作家の作品も横に並べて展示してあったが、
ピサロは誰よりも研究熱心で、事実を忠実に表現しよう腐心したのがよくわかる、
よくも悪くも真面目な作風。
特別展出口のグッズ売り場で、
ルノアールやモネ、ゴッホの作品がずらっと展示してあるのを見ると
作品の評価ってなんなのだろうと思う。
受けが良いってなんだろう?
ピサロの作品はとても見やすくて、明るくて、
事実の描写が精緻で歴史的価値はとても高い。
当時の文化を知る為のツールにもなる。
でも、日本でピサログッズが大量に売られている訳ではない。
売れる=評価ではないのだろうけれど、
大勢の人が好きだということはやはり理由があるはず。
特に写真技術の向上に伴って、絵画に求められるのは写実ではなく、
エフェクトがかけられた美しい何か、であることが
求められているのか。
それとも独特な構図?
ドラマティックなテーマ?
(そういえばテーマはほとんどが街の名前だった。
「オニーの村」と「星降る夜」では印象が違うわな)
人の心を動かすには、
本人が狂気じみていることが必要なのか?
きっとピサロはとても面倒見が良くて、
人柄のいい真面目な人だったのだろうと思う。
それでも、カリブの孤島からの家出してみたり、
印象派展が終わったあとに点描に思い切って画法を変えるなど、
柔軟で行動力のあるタイプだったのかもしれない。
印象”派”と呼べるのは、ピサロの功績がとても大きい。
それだけでも偉大だし、
コーディネーターとしての生き方にとても興味が沸いた。
うーん、コラボって力だわ。
それだけでも偉大だし、
コーディネーターとしての生き方にとても興味が沸いた。
うーん、コラボって力だわ。