ふと考えると、本当に目の前まで来ているような気もします。
今年も佳境を迎えている手帳商戦。
徐々に寒くなってくることで、
店頭の動きも活発になってきたように見受けられます。
私自身、
手帳のメーカーに数年勤め、
今でも手帳を販売しながら
手帳ユーザーのオフ会の幹事もしていたりと、
なんだかんだで10年以上手帳とビジネスとして関わってきています。
そんな私が最近良く考えているのが
「手帳はいつ無くなるのか」ということです。
ここ10年の個人向け手帳マーケットが横ばいだったことが奇跡
2000年台は、スマートフォンの台頭があったにも関わらず
空前の手帳ブームでもありました。
これは本当に奇跡的なことだと思います。
Googleのサービスがこれだけ世の中に浸透し、
スケジューラーとしての圧倒的な利便性を無料で提供しているにも関わらず、
紙の手帳はそのマーケットを減らすどころか
微増すらさせてきているのですから。
「毎日、文房具。」副編集長の福島さんがYOMIURI ONLINEに記事を書かれているのが
直近では正しい数字ではないでしょうか。
しかしその影では、デジタル食われた紙製品も存在しますし、
「拡大化した手帳」によって食われたものも存在しています。
アドレス帳や住所録、金銭出納帳、みなさん見かけますでしょうか?
日記だって、いまや「ライフログ」という名のもとに
手帳とノートが勢い込んで奪っているマーケットです。
それらを含めた、紙製品全体というマーケットで見た時に
日本全体で拡大しているかというとそうではないと考えています。
機能性としての手帳の能力は、いつ人工知能に奪われてもおかしくない
ホジラジというPodcast番組を通じて多くの文具著名人の方と交流をさせていただきましたが、
個人的に、デジタルとアナログの話を伺うのをとても楽しみにしています。
直近で配信されている、きだてたくさんの回の中で
手帳を使わないとお話されていたきだてさんは
「手帳がアラームを鳴らしてくれるなら使うけど、そうじゃないでしょう?」
と語っておられました。
これは非常に重要な指摘で、
いくら紙でギミックを作り込んだとしても
デジタルの方が便利なことが多いという現状は変わりません。
手帳だからできる行為の一つに、
「先を見越して予定を柔軟に立てる」という事が挙げられますが、
ブラウニー手帳のユーザーさんで非常に良い使い方をされている方がおられました。
家事は非常に項目が幅が広くて、
「ゴミの日を見越してそこまでにゴミの出そうな家事をすませておこう」
というプランニングは、「ゴミ捨て」「掃除」「料理」など
横断する幾つかの項目に目処を立てないと作れない内容です。
デジタル化するのは非常に難しく遅れている部分だと思います。
その結果空いた時間で何々をしよう、という計画は、
仕事ではないので自分で立てないといけない分、
デジタルよりも手書きで想いを逡巡させながら組み立てた方がすっきりします。
しかし、AIがもっと高度に普及してきたらどうなるのだろう?とも考えます。
一見すると、「年末にゴミの最終日がある」→「月初に好きな映画を見に行こう」という流れ、
もし高度化したsiriが提案してきたらどうしますか?
そのままiPhoneのスケジュールに入れてきたら?
「siriからの提案」みたいなカレンダーカテゴリを作って。
ちょっと怖いですが、
多くの日本人が手の中にUNIXベースのコンピューターを持っているのだから
これが高度化されたら、遠くない未来に
「予定を提案してくる人工知能」は登場してもおかしくないでしょう。
手帳に限らず、手書きの持つリアルなフィードバックは、その感覚にこそ価値がある。
2016年時点で、
手帳だからできること、デジタルだからできることを
一番体系的にまとめていらっしゃるのが館神龍彦さんです。
その言葉の中で、手帳の持つアドバンテージのひとつに
「習慣化」を挙げられています。
詳しくは著作を一読することをお勧めしますが、
手書きで書いた予定は、アプリのToDoよりも約束感が強く
先延ばしをしにくいという話ですが、
手帳、というより手書きのもつリアルな感覚を大切にされているポイントです。
(これについては以前ブログでまとめました)
また、次週以降の放送になるのですが、
アメリカで文房具ビジネスのスタートアップを準備中の
Bruceさんにお話を伺ったときも
「IT企業に努めていて、ふと手書きをしてみたときの感覚が
コーヒーを飲んだ時のようなリアルではっきりとしたフィードバックだった」
という話が出ていて、
指先に伝わるリアルな感覚というのはとても重要なんだなと再認識しました。
嗜好品としての手帳。そこに書かれているのは「情報」ではなく「情緒」
手書きは非常に感覚的で、人間的な行為でもあります。
私は手帳のオフ会を通じて多くの方とコミュニケーションを取ってきましたが、
概ねそこで交わされているのは
「戦略的に人生を乗り切っていこう」という情報ツールの使い方、というよりも
「自分の分身をこのように記録したから見てほしい」という、
そこに詰まっている感覚を情緒的に見せ合って交流することそのものが目的で、
そのコミュニケーション自体が楽しいのではないかな、ということです。
感覚をどう記録していくのか、という方法論を論じ合うことも非常に楽しいのですが、
肝心の分身の中身にまではほとんど興味がない、というのも面白いポイントで、
ある種のコレクター同士のコミュニケーションにも似ています。
手帳ファンクラスタというのは手書きファンクラスタと言い換えることもできるし、
感覚を大切にするということを本能的にわかっている人たち、とも言えるのかもしれません。
(そうじゃないと、手帳の重さで競ったり、持ってきた冊数で競ったりはしませんから…。)
縁をいただいてずっと手帳と関わってきましたが、
なぜ手帳ファンが面白いのか、なぜ手帳の交流会が人間くさいのか、
少し整理できたような気がします。
手書きだからできることは、いずれ、人間だからできること、と言い換えられる領域の仕事になる。
2016年時点では、ビジネスにおける手帳のウェイトはまだ高く、
意思決定を助けるツールとして使われています。
人工知能が普及したら、意思決定をAIに委ねるということは、
人間の存在価値そのものにも関わるのではないでしょうか。
一方、人工知能が普及しても無くならないだろうと言われている仕事のキーワードとして、
コミュニケーション、文化、創造性、健康、流通、など、
即物的、感覚的な領域が挙げられています。
これらは、手書きの領域と非常に重なる部分があります。
だから手書きが素晴らしい、と一足飛び言うことはできませんが、
人間にしかない付加価値と言える
手書きをしなければ、人間である必要がない、とも言えるのかもしれません。
たとえば、スターバックスで注文した後のメッセージサインなど。
こういったコミュニケーションは人間にしかできないし、
人間がやらないと意味がない領域でしょう。
(なので私は、高度な接客業は販売のためのコストではなく、
コミュニケーションのスペシャリストとして重宝されていくのでは?と考えています。)
今もロンド工房ではたくさんの製品を企画していますが、
手帳に限らず、リアルな感覚を大切にしていくことが
今後も残り続けるものづくりのポイントになる、と想定し、
チャレンジを続けていきます。
ブラウニー手帳を万年筆対応にしたのもそうですし、
先日来むーさんが書いていた塗り絵なども、感覚にフォーカスした商品です。
そろそろお披露目したいところですね。