石田三成が10年前好きだったのに、今小説を読むと印象が変わっていた

人の感じ方というのは年齢や環境、立場によって変わってくるものだなと改めて実感。

大学生の頃、歴史小説にハマって

関大前のブックオフに入り浸りでした。

まだあるのかな?

100円で買えた文庫の司馬遼太郎を読み漁ったり、

その流れで堺屋太一の書く歴史小説もよく読んでいました。

特に好きだったのが「巨いなる企て」という

石田三成を主人公として

関ヶ原の合戦がいかに生み出されたのか、に注目した本。

さすがのビジネスセンスというか、

例えが現代社会の会社のポジションなどに置き換えられていたり

何度も背景の説明があったりと非常にわかりやすい本です。

最近になってまた少しずつ読み返しているのですが、

大学生だった約10年前と比べて自分の感じ方が変わってきているなと。

当時は、三成こそが最後まで主君秀吉の遺志を受け継ぎ

豊臣の世を維持し、忠義を尽くす悲劇の忠臣として

好意を持って見ていました。

(物語自体が三成目線で書かれているので当たり前かもしれませんが)

尊大な態度や人の気持ちを慮れないところも

不器用で誠実さの現れであるからだというところも好きでした。

しかし、今読み返していると

そういった不器用さにイライラしてしまうというか、

もっとうまくやる方法があったのではないかと感じたり、

結局は自分の作った組織が時代の変化に対応できないことに対する

最後の悪あがきを行っているに過ぎない、と感じたり、

当時なかったような違和感を感じてしまうのです。

むしろここから200年以上続く幕府を作った家康すごいやん、という感じで。

この10年間の間に、自分自身学生から社会人になるという

大きな環境の変化もありましたし、

世の中も9.11や3.11があったり、スマホの台頭があったり、

計り知れないような変化が起きています。

他に昔好きだったのは、時代は違いますが幕末、新選組の

山崎烝や土方歳三など、タイプが三成と似ていて

自分の信念や組織に忠実に動くタイプ。

そして、やはり同じような違和感を覚えながら今捉えています。

あまりにも変化が激しい世の中で、

変われない人に対する違和感、というのが強くなったのかもしれませんね。

かといって、今誰が好きかと言われたらしっくりくる人物はいないのですが、

これからいろいろと歴史小説を読み返しながら

探していく楽しみが増えたのかな、と思っています。

10年前にハマっていたもの、小説じゃなくてもいいので

今やってみたら違った感想があって面白いかもしれませんね。